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重すぎる現代知識人の苦悩を描いた行人

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行人

朗読 平川正三

朗読時間 755分
CD枚数 10枚組

¥5500円

あらすじ

夏目漱石の後期三部作の一つとも言われる「行人」は、
友達、兄、帰ってから、塵労の4編からなっています。

死、男女、精神について、現代知識人の苦悩を描いています。

「友達」

二郎が友達の三沢と大阪で落ち合い高野山に登る予定だったのですが、三沢からの連絡がなく
二郎は待ちくたびれてしまいます。
なんと三沢は大阪に着いた途端病気になってしまい、入院していたのでした。
三沢が入院前に泊まっていた宿に泊まりながら、三沢のお見舞いに行く毎日を過ごすようになった二郎でしたが、
二郎は元芸者の女性が気になります。
気にしていたのは二郎だけではなく、三沢もでした。
三沢は入院する前に女性に出会っていたのでした。
三沢は大阪で汽車を降りた後、汽車の中で仲良くなった男達と飲みに行くことになりました。
その際に芸者として宴席に出てきて知り合ったそうです。
具合を悪そうにしていたのに、「不調は酒で吹き飛ばしてしまえ。」と、
三沢は酒をすすめてしまったのです。
自分がすすめた酒が病気の原因の一つではないかと自負の念に責められていました。

病気が治った三沢は彼女の病室を訪ねます。
二郎からお金を借りて三沢は彼女にお金を渡しました。
そして退院後、どうしてそこまで彼女を気にかけるのかを二郎に話し始めました・・・。


「兄」

三沢と別れた後、二郎は東京からやってきた母、兄、兄嫁と合流します。
可愛がっている女中の未来の夫に会うのと、観光をしに大阪にやってきました。

観光をしていた4人でしたが、母が二郎にこっそりといいました。
「一郎(兄)と、その嫁が上手くいってないようだ」と。
一郎自身も嫁との関係について悩んでいました。
嫁は二郎に惚れているのではないかとも疑っているようでした。

一郎は嫁を試すために二郎に嫁と二人っきりになり試して欲しいと頼みました。
二郎は断りましたが、兄嫁の気持ちを聞くだけならと、和歌山の料理屋に向かいました。
料理屋にいる間に激しい雨が降り、電話も通じずに結局二人は一泊することになってしまいました。
二人の間には何も起こらず無事に朝を迎えるのですが、兄嫁の意外すぎる一面をしり驚く二郎でした・・・。

一郎には「東京に帰ったら話します。」と言って、4人で東京に帰るのでした。


「帰ってから」

この家族が抱えている問題は三つありました。

一つは一郎と嫁の仲がよくないこと、
もう一つは一郎とその妹の重が仲が良すぎること、
最後は重と嫁の仲が良くないことでした。

重も二郎も良い年頃なので家から出さなければいけないと母が心配をしています。

家を出るということはほぼ結婚を意味するのでなかなか難しい話と思われました。
しかし二郎は就職し、あっさりと下宿先に引っ越していきました。


「塵労」

二郎は三沢から一郎が講義中につじつまの合わないことを言ったと聞きました。
普段から真面目でミスをあまりしない兄に違和感をおぼえ、
一郎の友人のHさんに兄を旅行に連れ出して貰うように頼みました。
旅行中の兄の様子を観察して手紙に書いて送って欲しいとお願いします。
Hさんはそのお願いを引き受け、一郎と旅行に行きました。
二人が旅行に出かけて十日ほど立った頃Hさんからとても長い手紙が届きます。

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近代日本を代表する文豪です。
1984年〜2007年まで千円札の肖像画をつとめていましたのでご存じの方が
多いと思います。

江戸牛込の名主の家の五男として
1867年2月9日に生まれました。

生後まもなく里子に出され、養子となりますが10歳の頃に義父母が離婚し、
生家に戻ることになりました。

やがて夏目漱石は東京帝国大学英文学科に入学します。
大学卒業後は英語の教師として、松山や熊本に赴任していました。

34歳の頃、文部省の命でイギリスへと留学します。
しかし夏目漱石は次第に神経衰弱していきました。


なんとか帰国した夏目漱石機は東京帝国大学英文学科の講師を勤めることになります。
学生達には夏目漱石の授業は不評でその事でまた神経衰弱していきました。
そんなときに夏目漱石と交流のあった俳人の高浜虚子が夏目漱石に小説を書くようにすすめました。

41歳、作家という職業についた夏目漱石は「三四郎」、「それから」、「門」などを執筆します。
「門」の執筆中に胃潰瘍になってしまい、療養生活に入ってしまいます。
※この3作は「前期三部作」と言われています。

危篤状態まで陥った夏目漱石でしたが、少し休み再び執筆活動をはじめました。
そして「彼岸過迄」、「行人」、「こころ」を書き上げました。

※この3作を「後期三部作」と言います。

その後「明暗」の執筆に励みますが、胃潰瘍を再発させてしまいます。
多くの傑作を残し49歳という若さで亡くなりました。

漱石になった理由
夏目漱石の本名は夏目金之助なのをご存じですか?
私は知りませんでした。

上記でも記載したように夏目漱石は英語教師をしていましたが、
実は元々は英語が好きではなかったそうです。

漢学塾であった二松学舎に入学していたのです。
最終的には英語を専門にしますが、漢詩文好きが続き中国の古典から名前を貰ったそうです。

「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」から取っています。

この著者のその他の作品

坊っちゃん
吾輩は猫である
それから
こころ
草枕
彼岸過迄

三四郎
夢十夜

※タイトルクリックで作品ページ飛びます。


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