商品紹介
”国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。”
とはじまってゆき、
”「この子、気がちがうわ。気がちがうわ。」・・・・”
と、終わってゆく。
雪にはじまり、炎におわる、薫りたつような一編。
うつろいゆく愛を描いた、すみずみまで美しくエロティックなこのノーベル文学賞受賞作を、俳優であり、また「『木を植えた人』を聴くプロジェクト」等で知られる朗読家である 榊原忠美が、じっくりとよみあげました。
”・・・踏みこたえて目を上げた途端、さあと音を立てて天の河が島村のなかへ流れ落ちるようであった。”
Wikipedia
作品 雪国
著者 川端康成
朗読者 榊原忠美
ライターズレビュー
日本に初めてノーベル文学賞をもたらした本作。
なのだが不思議である。
日本語の理解できない人が、翻訳された文章で、『雪国』をよいと思うのが不思議である。――俳句や・・逆に外国語の詩の日本語訳でも、もつ疑問なのだが。どのように感じ理解しているのだろう。
美しいものに国境はないということなのだろうか。
そんなに簡単なものなのだろうか。
たとえば、
古池や蛙飛びこむ水の音
(松尾芭蕉)
を、英訳すると、
The ancient pond
A frog leaps in
The sound of the water.
((Donald Keene訳)
となるのだが、どうか?
しかも、読む人は日本人とはちがう素地を持っている。
一方で「日本人の心の精髄をすぐれた感受性をもって表現した」という受賞理由にも違和感を感じる。「心」ではなく「美」とか、「日本人の心の感受性の精髄を表現した」ならまだ納得できるのだが。島村みたいのが日本の代表みたいに言われるのはおおいに不服である。初めて読んだ時は、むっとしたり、イラっとしたりで、流し読んでしまった。美しさは二の次、三の次で終わらせてしまった。わたしの感受性の鈍さが問題なのだろうか?
それらを思いつつもなお、なんと、うつくしい、ものがたりなのだろう。
「島村は私ではありません。男としての存在ですらないようで、ただ駒子をうつす鏡のようなもの、でしょうか。・・」
川端文学の結晶。
リスナーズレビュー
哀しいから美しいのか、美しいから哀しいのか。(50代 男性)
どんなに綺麗でも、駒子のように生きるのは御免だ。川端康成にとって、女性は綺麗な物でしかないのでしょうか。(40代 女性)
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